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2020年 12月 4日 【私のターニングポイント】川内優人

こんにちは!お久しぶりです!今日は川内がお届けします。

連日、各担任助手のターニングポイントが紹介されていますね。僕も読んでいるのですが、人によってターニングポイントを迎える時期や内容が様々で読んでいて飽きませんね。ターニングポイントというのは、その人の人格や価値観を形成している場合が多いように思うので、各担任助手のブログを読んだうえで実際に会ってみるのも面白いかもしれません。

さて、今回は前回の中村先生と同様に、僕の受験におけるターニングポイントを紹介しようと思います。

僕の受験におけるターニングポイントは、2017年10月15日です。

何の日やねん。と思った人は間違ってないです。一般的には(誕生日の人以外)特別な日ではないですからね。でも、僕にとってはショッキングな一日でした。そう、受験勉強において僕は、高3の10月15日にショッキングな出来事が起こるのです。

この日に何が起きたかを説明しましょう。この日は、第一志望校である早稲田大学法学部の過去問を初めて解いた日でした。この情報がわかれば、ショッキングな出来事が何かもう想像がつくでしょう。そう、手も足も出なかったんです。

僕は、この日に向けていろいろと準備してきました。というのも、当初は9月から過去問演習を始める予定でしたが、部活や学校行事に打ち込んでいた分、実力が全然追い付いていませんでした。そのため、過去問演習の開始日を10月15日に設定し、部活を引退してからその日まで死に物狂い勉強して、第一志望校レベルの実力をつけて万全の状態で過去問演習を始めようと考えていました。実際、引退してからの勉強量は我ながらすさまじかったと思いますし、今まで解けなかった問題もどんどん解けるようになっていて自信も相当ありました。

そんな僕が、いざ過去問を受けてみたらどうなったか。

英語⇒90分の試験を2時間半かけて3割も取れない

国語⇒90分の試験を2時間かけて半分程度

日本史⇒3割程度しか取れない

悲惨でした。絶望しかありませんでした。高3の10月でこの実力では、受かるわけないとも思いました。もっというと、自分の中で英語は得意科目だったはずなのにアレルギーになって英語を1週間全く勉強できませんでした。皆さんも想像してみてください。自分の第一志望校の点数が高3の10月でこの程度だったら。あきらめてくなる人も出てくるかもしれません。

でも、僕は結果的に逆でした。1週間は落ち込みましたが、そこからは逆に燃えて、こうなったら意地でもなんでも合格してやろうと思い、最後まで圧倒的な努力を続けることができ、無事に合格することができました。

この日を受験が終わってから振り返ってみたときに、学んだことがありました。

それは、挫折経験は成長痛だということです。

誰しもが、受験に限らず大なり小なり挫折をしたことはあると思います。挫折と聞くと、いやな記憶がよみがえるかもしれませんが、それは乗り越えようと悪戦苦闘している記憶があるからだと思います。その挫折を乗り越えたとき、なんだか成長できているように感じませんか。そういっている僕も、「あの日」がなかったら第一志望校に合格することはなかったと本気で思います。

だから、今何かにうまくいかなくて苦しい時間を過ごしている人がもしいたら、それは自分がひと回り成長するために必要な、貴重な時間を過ごしています。苦しいからこそ、必死にもがいてその時間を大切に過ごしてみてください。そして、苦しいときや悩んでいるときは、僕たち担任助手が支えるのでいつでも頼ってください!

早稲田大学法学部3年川内優人

2020年 12月 3日 【私のターニングポイント~勉強アレルギーだった僕が毎日15時間勉強するようになったきっかけ~】中村壮吾

 

こんにちは、中村壮吾です。

 

最近が本気出してきましたよね。

それに従って、僕と布団との冬の死闘熾烈を極めています。

現在の勝率は、11月から数えて18勝15敗

やや僕の優勢のように見えますが、直近の戦いでは5連敗。

調子を落としている中村でございます。

 

さて話を戻しまして、今回のテーマは

「私のターニングポイント」というものです。

 

難しいテーマですね。これは。

人生において様々な経験をして来た中村ですので、

ターニングポイントは山ほどあります。

ただ、このブログを読んでいるのは、高校生の方やその保護者様が多いと思いますので、

ここは受験にまつわるターニングポイントの話

をさせていただこうと思います。

 

今、僕は慶應義塾大学の経済学部に通っているわけですが、、

色々な紆余曲折を経て、この大学への進学を志しました。

まず僕は、高校生なり立ての頃とんでもなく頭が悪かったのです。

それに加えて勉強は大っ嫌いでした。

 

鉛筆を握るくらいならカラオケでマイクを握りたかったし、

学校の授業は隣の席の人と仲良くなる時間だと思っていました。

定期テストではどの科目も、目の当てられない成績でした。

さらには頭のおかしい事に勉強が出来ないことを、

自分のアイデンティティーだとすら思っていたのです。

 

今思うと、とんでもなく恥ずかしい事です。

そんな僕が、勉強をしたい。慶應に行きたい

そう思ったのです。

 

最初は勉強をしていると色んな人に笑われました。

 

友達には、「今日熱ある?」と言われ

先生には、「何日もつかな?」と言われました。

 

慶應に行くと言うと、さらに笑われました。

本当に、皆から笑われました。冷ややかな目で見てくる人もたくさんいました。

 

そして親には、

「別に慶應じゃなくても、全然大丈夫だからな」

と最初言われました。

父が慶應だったこともあり、そのプレッシャーから解放してあげよう。

そう思っての言葉だったのだと思いますが、当時の僕にその言葉は少し心に刺さりました。

 

そんな中で僕は、勉強して、慶應に行きました。

 

友達は信じられないと言いました。

学校の先生も驚いていました。

親も、祖父母も、事あるごとに

あの壮吾が慶應に行くなんてなあ」

と嬉しそうに言葉を漏らします。

 

でも、そうだと思います。僕だって、

「なんで私が、慶應に?」と常々思います。

 

勉強が大嫌いで、勉強が出来なくて、遊んでばかりだった僕が、

なんで慶應に?

そう思いました。四〇学院に通っていたわけではありません。

 

僕が勉強をするようになったきっかけ、そう「私のターニングポイント」

良き環境、良き友人

これらに巡り合えたこと。です!

 

なんだか、パッとしなくてごめんなさい。

でも、僕が沢山勉強するようになったのは

間違いなく友人環境のお陰です。

良き友人と出会った事、良き環境に身を置いたこと。

それが今の自分を作り上げてくれたと確信しています。

僕が勉強できない事を吹聴していた時、大抵の人はそれをネタにして笑いましたが、

何人かの友人は一切笑いはしませんでした。

そして、「それでいいのか?」という問いを、僕にぶつけてきてくれました。

その友人たちは、勉強ができる事がどれだけ素晴らしいのか

いい大学に行く事がどれだけ自分の可能性を広げてくれるのか

それを教えてくれました。

最初は聞く耳半分だった僕も、日が経つに連れて

「勉強したい!」「慶應に行きたい!」そう思うようになりました。

 

そして、行動を始めたのです。

参考書を開き、机に自分を固定し、勉強を、勉強をしようと思ったのです。

自分が頑張ろうと思えたきっかけは、絶対にその良き友人達のお陰です

 

何度も何度も、勉強をしようと呼び掛けてくれた事。

そして、実際に勉強をする姿を模範となって見してくれた事。

 

自分の性格や行動など様々な事は、

周囲にいる人間によって作られると言われています。

僕はそれを身を持って体験しました。

彼らが僕の傍にいてくれたから。

僕は勉強をしようという気持ちになりました。

 

そして、もう一つ、環境も大きく僕の勉強を手助けしてくれました。

勉強はとても辛いもので、向き合っていると

どうしても投げ出したくなってしまう時が訪れます。

 

もし僕が一人で勉強していたならば、絶対に投げ出していたと思います。

周りでも同じように、勉強をしている人たちがいたから

僕は勉強を続けていけました。

それは、学校だけでなく、学校が終わった後の、東進も同じです。

沢山の受験生たちが、一生懸命授業を受け、

一生懸命自分の将来に向かって努力を重ねている。

その環境に身を置いていたから、僕も頑張ろう。まだ僕も頑張れる。

そんな気持ちになる事が出来ました。

 

だから、僕が東進に身を置いたこと、一人で家で勉強するのでなく、

塾でライバルたちと共に努力する事を選んだことも

僕の大学受験において大きなターニングポイントになったと思います。

 

長くなってしまったので纏めると、僕にとってのターニングポイントは、

 

僕に勉強するように促してくれた良き友達に会えたこと

 

そして

 

同じ志を持ったものが集まる環境(僕で言うところは東進)に身を置いたこと

 

です!

 

友人と環境はとても大切です。

 

皆さんも歩みたい未来に向けて、

それを応援してくれる、もしくは頑張ろうと言ってくれる友人と出会う事、

そしてそれを達成出来そうな環境に身を置く事。

これらを探して生きて行けば

その道の先に光が待っているかもしれません。

友人も環境も、ある程度自分で選べます

自分の人生は自分で切り開いていくものです!

 

もしこれを読んでいるあなたが、

適切な環境に身を置いていなかったり

お互いに足を引っ張りあう友人と仲良くしているならば、

今があなたのターニングポイントなのかもしれません。

 

今一度、自分の目標についてよく考え、それに向けてどう行動して行けばよいか。

そんな事を考える機会にしていただいたら幸いです!

 

以上、担任助手二年、中村壮吾でした!

2020年 12月 2日 【私のターニングポイント】伊地知魁士

 

こんにちは、伊地知です。

本日も引き続き、「私のターニングポイント」です。それではどうぞ!

 

僕のターニングポイントは、就職活動です。

高校生のみなさんはまだ先の話なので、あまりピンと来ない方も多いと思います。

そこで、まず初めに「就職活動とは」を簡単にお伝えしたいと思います。

「就職活動は、自分の20数年の生き方を立ち止まって考えて、次の40-50年の生き方の方向性を決める場。自分らしい生き方を再定義すること。」(Twitterより引用)

つまり、就職活動=自分を知るということです。

ここで必要になるのが、自己分析という作業です。幼少期から現在までの人生を振り返り、自分の中での一貫性や変化(特に一貫性がある部分)を知ることが目的です。僕にとって、この作業がとても大きなポイントだったかなと思います。

 

自分だけでは見えないことや思い出せないことは多々あるので、家族や友人に手伝ってもらいながら作業を進めていく過程で、自分の中で一貫していることは「何かを作り上げることの楽しさ」だということに気付きました。

小さい頃からモノレールや図工・美術の授業、合唱や劇、自由研究など、昔から何かひとつのものを作り上げることが好きでした。特に夏休みの自由研究はほぼ毎日学校にこもって作業していました。

正直作業している時は、「自分はこれが好きだ!」という確固たる意思があったというより「なんとなく楽しいから没頭してしまう」という感じで、時間が経つごとに無意識化されていました。

ですが、自己分析という機会を使って自分を振り返った時、自分の原点のような部分に改めて気付くことができました。

 

もともと就職活動では街づくりを行う業界を見ていたのですが、そういった企業に入ったとしても自分が携わることができるのはもちろん全てではありません。そう考えた時に、段々と「自分でやってみたい」と思うようになりました。最終的には就職という道ではなく、専門学校への進学という道を選びましたが、就職活動、もっと言うと自己分析がなかったらこのような選択はできていなかったと思います。

 

長々と自分語りをしてしまい申し訳ないです。

自分はまだまだ人生経験が浅いので、この選択が正しい!間違ってる!ということは言えませんし、分かりません。
ですが、今自分が思うベストの選択ができるようにすることは本当に大切だなと感じています。(畑先生が言っていたように、周りの人の支えがあることは忘れてはいけません)

将来皆さんが自分で納得できる選択を取れるように、大学受験を通して僕たちもサポートしていきたいと思います。一緒に頑張りましょう!

 

担任助手4年 伊地知魁士

 

2020年 12月 1日 【私のターニングポイント】畑翔也


 

みなさんこんにちは。畑翔也です。

私のターニングポイントというテーマには随分と考えさせられました。

何個かありましたが、今回はこれでいきたいと思います。

高校時代の顧問との出会いです。

顧問は「お前らがバスケできてんのは周りの人の支えがあるからだ」と事あるごとに言いました。

顧問は周りに感謝する事とその気持ちを行動に移す事を選手達に口うるさく言いました。

それは全部自分たちに返ってくると言いました。

現役の最中は意味がわからないなりに言われた事だからと一生懸命にやりました。

他部活の準備の手伝い、高校の周りの公園のゴミ拾ったり(平和公園は本当に好きです)、マネージャーの荷物を持ってあげたり、たまには家の手伝いもしてみたり。

でも引退した時に言っていた事がわかりました。僕たちは自分たちの高校ではない会場で引退したのですが、アウエイのはずなのにまるでホームかの様にびっしりと自分たちの応援で溢れていました。

その応援と歓声の多さに、いかに自分たちが支えられてバスケをしてこれたのかを強く感じました。

他の部活が平等に体育館割を作ってくれて守ってくれるから、決まった時間に自分たちが体育館を使えるし、地域の方々に理解をいただいてるから高校の周りをランニングできたり、マネージャーが暑くても寒くても自分たちのサポートをしてくれるから練習に集中できたり、家族の支えがあるから好きなバスケができている。

顧問のいつも言っていた事がすべて実感になった瞬間でした。

この教訓は大学受験の際に僕を支えてくれました。

そもそも大学受験ができる事、予備校に通える事、それを応援してくれる人たち。そんな事を常に感じる事で大学受験は腐っても折れずにいる事ができました。

そしてその感謝を今度は伝えるために東進の担任助手になりました。

辿っていくと顧問との出会いは今の自分に大きな影響を与えているなと思います。

特に自分は出来た人間ではないので、根本にある人としての在り方を教えてくれた顧問には感謝しかないです。

大学受験は自分はもちろんですが周りの人も自分のために相当に頑張っています。それは打算がない純粋な思いだと思います。

それをリアルタイムで感じられる人は大学受験を通して合格と、さらにもっと大事な物も得ると思います。

わからないなら形からでもいいと思います。自分と同じ様に振り返った時にそこに意味があった事が分かったりします。

書いていて思ったのですが、ターニングポイントを書く際にもっと大きな出来事があったなと思い出しました。

でもそれは自分の半径5m以内で大切にしたい出来事だなと思い今回ブログで取り上げるのをやめました。

自分の中にも独り占めしたい出来事や思い出があるのはなんだかいいなと思いました。

 

 

担任助手4年 畑翔也

 

 

 

2020年 11月 30日 【私のターニングポイント】関端里菜

髪を就活スタイルに染めました!関端です!

 

急激に寒くなってきましたね。
防寒対策をきちんとして、体調管理には充分気をつけましょう♪

 

今日は私のターニングポイントをお話しします。

私のターニングポイントは小学2年生の時に大阪に引っ越しをしたことです!

それまでは人見知りでスーパーシャイな女の子でした。

当時の私は、新しい友達を作ることも、なにかチャレンジすることも苦手だったので

私にとって「転校」は、不安で不安で仕方がありませんでした。

 

ですが、今となってはその出来事が、今の明るく社交的な私を形成したと思っています。

転校先で明るく元気に「遊ぼう!」と声をかけてくれた友達のおかげで、

不安だった世界がとっても明るくなった事を鮮明に覚えています。


その出会いこそが、私にとって本当のターニングポイントかもしれません。

それから私は、「人と関わる事の楽しさ」を知り、たくさんの事に挑戦できるようになりました!

 

新しいコミュニティに踏み出すことは今でも緊張します。

でもそれは

中学生にあがる時、

高校生になる時、

そして大学生になる時、

社会人になる時、、、

今後も新しい場所に踏み出さなければいけない時というのは来ます。

 

そんな時いつも背中を押してくれるのが、転校の想い出です。

その時は気づかないものですが、後から思い返すと素敵だなあと考える「出会い」がたくさんあります。

 

東進ハイスクールでの出会いもまた、私にとって大きな転機になりました。
担任助手や、共に戦う仲間に出会い、自分をさらに高めることができました!

環境を変えることが自分を大きく成長させることもあります。


みなさんもぜひ「出会い」を大切に、

また、大学生になって新しい「出会い」がある事を

楽しみに生活してみて下さい^^

 

 

担任助手3年 関端里菜